皆さーん!お変わりなくお過ごしでしょうか??
大阪ではコロナの警戒信号も青になり、飲食店へ出されていた2時間以内の滞在などの要請も解除されましたね!!
長らく自粛しておりましたが、いよいよ樽生ビールを飲みに行けそうです!
もちろん、まだまだ感染対策をして、密を避ける必要はありますが。できるところから、少しずつ経済をまわしていきましょう!
この2年、私はすごく読書量が増えました。もともと本を読むのは好きな方なのですが、家に引き篭もることが多くなったので、いつも以上に書籍やWEB雑誌を読み漁りましたね。
もちろんビールに関する本も読みました!
買うだけ買って本棚の肥やしになっていた本も、あらかた読み終わりました。
今日はそんな中から、池永陽著
『北の麦酒ザムライ 日本初に挑戦した薩摩藩士 』をご紹介します!
びあけんを受験された方は、開拓使麦酒の起こりのところで“村橋久成”の名前を勉強されたことと思います。
この本は、村橋久成がどのように日本で初めての官営ビールを作っていったかを紹介しています!
びあけんの受験を考えている方はもちろん、サッポロビールのルーツを知りたい方にもおすすめの本です。
今回は特に、作中の名言から、村橋久成という人物像に迫ってみたいと思います!
「ビールはいい。味がいい、色がいい、喉の滑りがいい」
大政奉還前、薩摩からの留学生としてイギリスに赴いた村橋久成(写真の後列、左から2番目)。
そこでビールの魅力に出会いました。帰国後、開拓使に着任し、開拓使麦酒の設立を任されます。
村橋久成のビールに対する情熱は全編に渡って出てきますが、最も端的に表しているのがこの言葉かなと感じます。
という共感の嵐が湧き起こります。
この後、
「いちばんいいのは原料が麦だというこつです。米ではなく麦。〜中略〜最初は高価になるでしょうが、大量にできるようになれば、必ずや値段は下がって安くなるはずです。正に労働者の酒です。やがて日本の、みんなの居酒屋にもビールが溢れ、仕事帰りの人たちで大賑わいになるはずですけん」
と続きます。
素晴らしい先見の明ですね。村橋久成が亡くなるまで、ビールは上流階級しか飲めない高級品でした。
イギリスで庶民に親しまれている様子を見たからというだけでなく、自分たちが絶対にうまいビールを作り上げるんだという気概と覚悟もあったからこそ、ビールが大衆酒になる未来が見えたのかなと万感の思いが込み上げてくる言葉です。
「こんな好条件をほっておいて、東京に醸造所を造る意味はまったくない。莫迦げているとしかいいようがない」
国内初の官営ビール作りの責任者となった村橋久成に、黒田清隆が下した命は「北海道ではなく東京の官営農園でビールを作れ」でした。 事の発端は 時は明治維新直後。日本初の官営ビール醸造の地として札幌が選ばれ、明治9年に開拓使麦酒醸造所が開業しました。この頃の様子は、この本に詳しく書かれています!!めちゃ熱い人間ドラマがあるので、興 ... 続きを見る
これに村橋久成は猛反発します。
「今はまだ無理だが、いずれ北海道だけで麦もホップも育てられるはずだ」
「冷涼な気候、綺麗な水を考えても、北海道以外あり得ない」
「高価な醸造設備をポンポン買って無駄にするな」
と、黒田清隆に詰め寄りました。
結果、ビール作りは北海道に決定し、サッポロビールの前身である開拓使麦酒が作られました。
少し後に東京で生まれたヱビスビールが、第二次大戦を経てサッポロビールと統一されることに、不思議な因果を感じますね。
#EじゃなくてもAじゃないか 話題のサッポロ開拓使麦酒仕立てをビアテイスターが飲んでみた!
「これは酵母を蘇らせる儀式であります」
村橋久成が札幌に赴任し、醸造所が建設されていく様子は、この本の中で特に詳しく描かれています。
中川清兵衛によって初めての醸造が行われている時に、特におもしろい描写があるので紹介します。
なんと、酵母が発酵を始めないというトラブルが発生するのです!!
酵母は生き物ですから、機嫌が悪いときや調子が出ないときもあります。
初めての環境に長雨の低気温・低気圧に当てられたことが合わさってか、初仕込みの際に酵母が活動しはじめなかったのです!
そこで村橋久成は、中川清兵衛がドイツで聞いた、民間伝説の方法を試すことにします。
それは、木桶を鳴らしたり太鼓を叩いたりして、お祭りのごとく囃し立てるというもの!!
醸造チームは三日三晩、桶やら太鼓やらシンバルやらを鳴らし続けました。
疲労も筋肉痛も限界、もう諦めよう……となった四日目の朝、なんと酵母が発酵をはじめたのです!!
温度や気圧や何もかもを管理できる現代ではあり得ない方法かもしれませんね。
ビール造りの情熱と酵母への愛を感じるエピソードだなと感じました。
「その上は、誰かがやればいい」
仕込みがひと段落すると、村橋久成は東京に呼び戻されます。
東京での貯蔵や販路確保も大切な仕事だと理解していた村橋久成ですが、「せっかくなら最後まで見届けたかったのでは?」と尋ねられた際、
「おいではなく、他の誰かでいいんです。夢の一人占めは駄目です。欲張りが過ぎますけん」
「大多数の人は反対するでしょうね。夢はとことん追いかけろって。しかし、そういう人もいつかは気がつくはずですけん。この世は、自分だけが生きているわけではないってことに。沢山の人が沢山の夢を追っているということに」
と答えています。
いやぁーーー衝撃でしたね。私は今まで、自分の夢を叶えたい、自分の人生を良いものにしたい、という我欲しかない考えで生きてきました。
それを全否定するわけではありませんが、大きな大きな事を成し遂げようと思ったら、夢を人に託す勇気も必要なんですね。
いかに自分が狭い視野で生きてきたのかと考えさせられました。
ビールの歴史を知るとまた違った視点から楽しめます!
びあけんの教科書の中でしか知らなかった村橋久成でしたが、小説を読むとまるで旧友のように身近に感じられました。
こういった体験が、いざ“ビールの魅力を伝えよう!”と思ったときに説得力に繋がるんですね。
150年以上経った今、ビールは日本人に最も親しまれるお酒となりました。そして、150年変わらずビールに情熱を注ぎ続ける人たちがいます。
先人たち、また今のビール造り、流通、提供に携わる全ての方へ感謝して……かんぱーい!!!